氷室京介とは?



名前 氷室京介
生年月日 1960年10月7日
出身 群馬県
血液型 O型



KYOSUKE HIMURO'S HISTORY



1982年 BOΦWYデビュー。当初メンバーは6人だったが、
その後2人が脱退。
1987年 12月24日、惜しまれつつも渋谷公会堂にて
解散宣言。
1988年 4月4,5日に解散LIVE「LAST GIGS」を
完成されたばかりの東京ドームで行う。
そしてBOΦWYは伝説となる。
その後氷室は「ANGEL」でソロデビュー。
この年アルバム大賞をとる。
1995年 東芝EMIからポリドールへと移籍。
1998年 約4年ぶりのツアー"The One Night Stands"を行う。
2000年 "beat haze odyssey"ツアーを行う。



氷室京介と管理人の出会い



 氷室京介、その存在は僕の人生を大きく変えた。彼との出会いは小学校5年のとき、たまたまCMで流れていた曲が僕の耳に飛び込んできた。その曲とは「kiss me」だ。その曲を聞いて僕はかなりの衝撃を受けた。それまで音楽というものにさほど興味を持ってなかった自分が、無意識のうちにCDショップに足を運んでいた。そして初めて自分の金でCDを購入した。これが氷室京介との運命的な出会いだ。その後アルバム「memories of blue」を購入。僕は徐々に氷室京介という男に惹かれていった。ただそのころはまだ氷室京介がBOΦWYという伝説のバンドに所属していたなんてことは当然知らなかった。というよりむしろBOΦWYというバンドがあったことすらその頃はまだ知らずにいた。
 中学に入り、友達に数人BOΦWYのファンだという人がいた。そこで初めて氷室がBOΦWYというバンドに所属していたことを知った。そして「布袋寅泰」という人物もそのバンドにいたことを知った。ただその頃の僕はBOΦWY、布袋寅泰というものに興味を持てなかった。だからその友達にBOΦWYの曲を借りることもしなかった。今となってはかなり後悔している。
 その後高校に進学、「kiss me」を買って以来、氷室のCDは全部購入してきた。ただこの頃は他のバンドにも興味をもっており、氷室が一番好きだったが、氷室一筋というわけではなかった。そんな中、高1のときにBOΦW」のベストアルバム「THIS BOΦWY」が発売された。それまでBOΦWYというバンドには興味を持ってなかったが、氷室が所属していたバンドということもあり、金にも余裕があるということでそのアルバムを購入することにした。そして案の定僕はBOΦWYというバンドにハマってしまった。こんなすごいバンドが80年代に存在していたなんて。ただCDショップに行ってもBOΦWYのアルバムはどこにも置いてなかった。よってBOΦWYというバンドにもかなり惹かれていたが、高校時代はこれ以上BOΦWYを知ることはできなかった。
 そんな中、夏に氷室のライブ"The One Night Stands"があることを僕は知った。もちろんライブに行きたくなって、チケットを買うべく、僕は電話と格闘した。だがその努力むなしくチケットは手に入れることは出来なかった。結局ライブには行くことはできず、悔しい思いをした。しょうがなく僕は氷室のCDを買って聞きまくって高校時代を過ごした。
 そして大学に入学。情報系の学校に入学したことによって僕の人生は大きく変わった。それはパソコンだ。パソコンで氷室京介、BOΦWYの情報がいろいろ得られることを知って、僕は氷室京介、BOΦWYのHPを見まくった。そしていろいろと知識を得て、氷室京介はもちろん、BOΦWYのCD、ビデオが欲しくなり、ヤフーオークションでいろいろと手に入れた。この頃から音楽は9割近くは氷室、BOΦWYしか聞かなくなっていた。
 そしてこの年の冬、氷室がまたライブをやることがわかった。"beat haze odyssey"だ。今回こそはと電話と格闘したが、またしても手に入れることはできなかった。チケットはファンクラブに入ってないと手に入れるのは困難だということをここで初めて知った。僕は諦めることができなかった。そして僕はネットで一生懸命チケットを譲ってくれる人を探した。そして定価で譲ってくれる人を見つけることができた。その人のおかげで、氷室のライブを初めて体験することができた。初めてライブに行って、最高の夜を過ごすことができた。僕はもう一回ライブに行きたいという衝動に駆られた。次に目をつけたのが2日後にあるZEPP FUKUOKA。福岡サンパレスでのライブの翌日、またネットでチケットを譲ってくれる人を探した。そしてまた運良く見つけることができた。こうして僕はこの年2回のライブを経験することができた。それは生まれて最高の気分だった。僕はチケットを譲ってくれた方に本当に感謝している。もしネットをしてなかったらまた今回もライブに行くことはできなかっただろう。
 その後僕はある病気にかかってしまった。「氷室病」だ。あまりにライブが最高だったため、氷室、BOΦWY以外の音楽を聞けなくなってしまったのだ。他の音楽がしょぼくて聞けなくなってしまった。今のバンドはほとんどBOΦWYの影響を受けている。某バンドのボーカル(名前は敢えて伏せるが)なんて、氷室の仕草からマイクの持ち方、パフォーマンスまで真似してる。そんな現代の音楽を僕には聞くことはできなかった。氷室のライブに行って最近の音楽に冷めてしまったのだ。この瞬間から他の音楽は一切聞かなくなってしまった。今考えることは「氷室は次はいつライブをやってくれるのだろう」。このことだけだ。今現在、僕は家に帰っては氷室、BOΦWYのCDを聞き、ライブビデオを見るといった毎日を過ごしている。
 僕は後悔していることがある。それはどうにもならないことなのだが、何故もう少し早く生まれなかったのか。あと5、6年早く生まれてればBOΦWYをリアルタイムで聞くこともできただろうし、BOΦWYのライブにも行くことができただろう。一度でいいからBOΦWYを生で見たかった。その点だけは親を恨んでいる。
 氷室京介と出会ってもうすぐ9年になる。僕は氷室と出会って本当によかったと思う。僕の中では、世界で一番最高なバンドはBOΦWYであり、世界で一番最高なソロアーティストは氷室京介である。この持論は今後変えることはおそらくないだろう。というより、BOΦWYを超えるバンドなんて存在しないし、これからも出てこないと思う。そして、氷室京介を超えるボーカリストも存在しないだろう。


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